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2011年1月8日土曜日

"Media Control メディアコントロール" Noam Chomsky




チョムスキーが自らのメディア論を通してアメリカの世論を斬る本。

基本的に我々の考えていることはすべて何らかのメディアを通したものだ。
テレビ、インターネット、ラジオとか音楽、映画など。
自らを知識人と信じて周りを見下す人だって、メディアの言うことをそのまま引用していたりする。

民主主義というのは、自分達で考えた問題への対処法を政治に反映させることができるはずのものである。

しかし、
それらの策を実行するのは人口のほんの一部でしかないのだ。

いわゆるきちんとした選挙で選ばれた特権階級の人達だ。
彼らは「何も考えていないおろかな民衆」の反対から身を守らなければならない。
そこで、「公益」をよく考え行動する。奴ら馬鹿どもをコントロールできる方法。

奴らに知能が足りないなら、感情に訴えてやればいい。
そもそも人の知能の役割なんて大したものじゃない。
例えば漂流している人達がいて、一人を犠牲にすれば他のみんなが助かる状況において、
「じゃあその一人を犠牲にしてみんな助かろう。その方が効率がいい。」なんて言う人はいない。
もっと情に訴えてやれば簡単に人は動く。
「体制の神様」と呼ばれたニーバーは理性は感情と衝動に滅多に打ち勝つことは出来ないと言った。

メディアを使えば、みんなを簡単に洗脳できる。

人類の歴史はそういった、エリートによる大衆の洗脳によって動いてきた。異なるイデオロギーの戦いの歴史だ。

日本人が平和を愛する民族というのは、一体誰が、いつごろ、どうやって決めたのか。
もちろん、大昔のお偉いさんたちが外国との交渉の末に民衆に植えつけたもの。または外国に押し付けられたものだ。


そういった、作られた「架空の怪物」との戦いは現在でも続いている。
「理由なんてどうでもいい。目の前の恐怖を潰すまで戦い続けてやる。」

戦う必要なんか最初から無くても。

チョムスキーは結論は読者に委ねている。

だが、

民主主義に生きる以上、我々はその、上で威張ってる奴らの頭を蹴っとばして、辞めさせることだってできるのだ。政府が正直になればなるほど、自らの間違いを露呈していく。
それに民衆は耐えられなくなるかもしれない。だって、自分で自分の罪を認めるのはそれはそれは辛いことだから。

しかし、これからはそういった「正直さ」がないと更なる災厄を招くだけなのだ。




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